Q.高次脳機能障害であるワーキングメモリ障害は,裁判例において,どのように評価されていますか。
ワーキングメモリとは,もともとは,コンピューター用語の作業メモリという意味ですが,ヒトの脳活動にも短期記憶の貯蔵として存在が考えられてきていました。
脳神経学所見としても「ワーキングメモリ低下」などと記載をされて,裁判例にも頻繁に登場する用語となりつつあります。
1 裁判でワーキングメモリ(障害)の言葉が使用されている例
ワーキングメモリを定義しているものはほとんどなく,定義することなく,そのまま使用されているものが多いようです。
定義を判決文にあげているものでは,札幌高裁平成18年5月26日判決が「行動や決断に必要な情報(記憶情報を含む)を一時的に保持・操作して適切な行動や決断を導く機能」としています。
2 ワーキングメモリと,その障害
医学文献でも,札幌高裁に近い定義をしているものがあります。
「ある作業を行うのに必要な情報を保持しながら,状況の変化に応じて適切な判断をして,その情報を操作・処理する能力,具体的には,電話帳で番号を調べ,それを見ずに電話する,などの即時の記憶を指す。」(「高次脳機能障害リハビリテーション入門改訂2版橋本圭司等編著」診断と治療社p10)
即時の記憶として,「電話帳で番号を調べ,それを見ずに電話する」という日常生活での場面としては,わかりやすいと思います。さすがに電話帳の例はさすがに古いですので,ネット検索あるいは人に尋ねるなりにして,そのままメモを見ずに電話できる能力と考えればいいと思います。
ワーキングメモリが障害されると,それができないか,できにくくなると言うことです。
交通事故でワーキングメモリが障害されるというのは,前頭葉の損傷,特に前頭葉背外側部(DLFC)の損傷で障害されやすいとされています。「神経心理学評価ハンドブック」(西村書店)p113
3 裁判例では,ワーキングメモリ障害は,どのように評価されるのでしょうか。
(1)東京高裁 平成25年3月13日判決 自保ジャーナル・第1899号
①ワーキングメモリーの低下が見られ、それに関連し、出典記憶や記憶の順序、メタ記憶の障害がわずかながらも残存している。
以前よりは改善され、現在の生活では大きな支障が生じておらず、復職後も定型的な業務であれば大きな支障にならないと思われるが、
むしろ、突発的な事象の記憶に関して不正確さが生じると思われる。
②意思疎通能力が「障害なし」(とくに問題ない)、持続力・持久力及び社会行動能力が「わずかに喪失」(多少の困難はあるが概ね自力でできる)、
問題解決能力が「多少喪失」(困難はあるが概ね自力でできる)とされたが、「相当程度喪失」(困難はあるが多少の援助があればできる)から「全部喪失」(できない)と評価される項目はなく、
特筆すべき事項として「記憶障害の残存あり、代償手段を併用して業務を行う必要あり。情報処理スピードの低下も認める。」との記載がされている。
③執務についても、付箋をネームプレートに貼ったり、アラームを利用するなどして、高次脳機能障害によるワーキングメモリー等の低下を補いながら行っており(以下略)
として高次脳機能障害7級を認定しています。
特に,医学的所見の「ワーキングメモリー等の低下」を引用していますが,突発的な事象に対して代償措置が必要という執務への支障(=就労の制限)に対する理由づけとしています。
(2)名古屋地裁 平成28年4月27日判決 自保ジャーナル・第1973号
一般論として「前頭前野背外側部(DLFC)の損傷でワーキングメモリーの障害により結果的に無気力がみられるとされている。」と言及しています。
しかし,本件では,ワーキングメモリーの低下あるいは,その障害されているかは明らかではない,としながらも,高次脳機能障害7級を認めました。