Q.後遺障害として認定されても労働能力喪失(逸失利益)が争点となるものは何ですか。
次のようなものがあります。
外貌醜状痕,
嗅覚・味覚障害,
腸骨の採取,
脊柱変形,
鎖骨変形,
歯牙障害(欠損),
脾臓喪失,
腓骨偽関節,
下肢短縮
1 外貌醜状根痕
被害者の性別,年齢,職業等を考慮した上で,
①醜状痕の存在のために配置を転換させられたり,職業選択の幅が狭められるなどの形で,労働能力に直接的な影響を及ぼすおそれのある場合
→一定割合の労働能力の喪失を肯定し,逸失利益を認める。
②労働能力への直接的な影響は認めがたいが,対人関係や例外的な活動に消極的になるなどの形で,間接的に労働能力に影響を及ぼすおそれが認められる場合
→後遺障害慰謝料の増額事由として考慮し,原則として,100万円~200万円の幅で後遺障害慰謝料を増額する。
③直接的にも間接的にも労働能力に影響を与えないと考えられる場合
→(逸失利益は否定し)慰謝料も基準通りとして増額しない。
(以上 「新しい交通賠償論の胎動」ぎょうせい p9河邊義典;当時,東京地裁民事27部(交通専門部)部総括判事)
上記は,2002年3月と10年以上も前に行われた講演によるものです。
しかし,この点は,最近のいわゆる赤い本によっても変化は特になさそうです(2011年=平成23年版下巻p39~55)
2 嗅覚・味覚障害
嗅覚・味覚障害については,等級表にはそのままでは掲載されていません。
しかし,別表第2備考⑥を適用し,また労災基準により嗅覚・味覚脱失については12級相当,嗅覚・味覚減退については14級相当とされています。
裁判等の実務においては,一般に自賠責保険における当該等級の労働能力喪失率に従っているとされています。
ただし,調理師・寿司職人・溶剤を使用する職人等については,後遺障害による支障の実態に応じた高い数値の労働能力喪失率が認められることがあるとされています。
☆1
被害者が主婦の場合,家事労働への支障の程度について異なる考え方がありますが,嗅覚脱失又は味覚脱失は自賠責と同様に12級相当とされます。
また嗅覚及び味覚を共に脱失した場合には併合11級と認められます。
なお,労働能力喪失期間については,嗅覚,味覚障害の発生した機序を検討し,その回復の可能性の度合いに応じて決することになるとされております。
☆2(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p168)
☆1 東京地裁平成13年2月28日交民集34.1.319において調理師兼料理店経営者の12級相当の味覚脱失について労働能力喪失率20%を認めています。
☆2
嗅覚障害に関してですが,発生機序としては脳自体の出血や浮腫以外に,急激な衝撃による嗅神経枝の断裂や損傷が考えられます。それは次のように分類されます。
(1)鼻骨あるいは鼻中隔骨折による嗅裂部の閉鎖(呼吸性嗅覚障害)
(2)嗅球と篩板との間での嗅糸の断裂(末梢神経性嗅覚障害)
(3)前頭葉,側頭葉の挫傷あるいは血腫(中枢性嗅覚障害)
そして,嗅糸の断裂(末梢神経性嗅覚障害)による場合にはほとんどが嗅覚脱失の状態となり回復は望めないとされ,また嗅球の挫傷では嗅覚の回復は望めないが,前頭葉挫傷では嗅覚脱失となることは少なく,回復の可能性もあるとされています。
(赤い本2004年版p442)
ただし,実際はこのような嗅覚脱失における分類により発症機序を分析して労働能力喪失期間を検討した判決例は見当たりません。
3 腸骨の採取
関節や脊椎の固定術などで骨移植が必要な外科手術を行う場合に,自家骨として腸骨から移植する骨を採ったことにより,骨盤骨が変形した後遺障害を言います。この場合には,骨盤骨の変形として12級5号に認定されます。
腸骨は人体で最も大きな骨であり,その変形により労働能力が減少することはあまり考えられないから,後遺障害による逸失利益が認められる場合は限定され,これが認められる場合でも,労働能力喪失率は,(12級5号の14%ではなく)14級9号の神経症状に相当する5%,労働能力喪失期間は,手術後から1,2年が目安とされています。
もっとも,身体の完全性が失われたことは明らかであり,健常部への侵襲という観点から,後遺障害による慰謝料の増額事由としてしんしゃくできるものと解されています。
(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p166)
4 脊柱変形
脊椎骨折後に脊柱に変形を残す障害です。
自賠責制度の運用では,平成16年7月1日以降に発生した交通事故の場合,脊柱に著しい変形を残すものは6級5号,脊柱に中程度の変形を残すものは8級相当,脊柱に変形を残すものは11級7号に認定されます。
労働能力喪失率については,裁判を含む実務の運用では,自賠責における等級通りの喪失率とされています。
もっとも,変形が軽微である場合(注:もっぱら11級7号に該当する場合を意味しています。)には労働能力喪失率表のとおりの喪失率をそのまま認めることが相当でないこともあり得るとされています。
また,脊柱の器質的損傷があるものの,被害者が若年者であり,脊柱の支持性と運動性の低下が軽微であるような事案においては,後遺障害の残存期間及びその程度を予測することが難しいことを考慮して,労働能力喪失期間を分けた上,期間ごとに労働能力喪失率を逓減することもあり得るとされています。☆
(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p168)
☆例えば,労働能力喪失期間を25年と認めた上で,10年間を20%,10年間を14%,5年間を5%と漸次逓減する考え方(赤い本2004年版p436)
東京地裁平成15年2月28日判決男子バイク便請負について脊柱変形11級7号について症状固定時から10年間は20%,その後の10年間は14%の労働能力喪失としました。
5 鎖骨変形
著しい奇形の場合には12級5号に認定されます。
労働能力喪失率について,鎖骨変形は,その運動障害の程度が通常は軽度であり,労働能力喪失が認められない場合もあります。
他方,モデル等の容姿が重要な要素になる職業や,スポーツ選手,職人等の肉体労働的側面が強い職業に就いている場合,痛みが残存している場合等には,10ないし14%程度の労働能力喪失率が認められます。
労働能力喪失期間は,変形の存在自体が問題となる場合や可動域制限があるような場合には,原則として就労可能な終期まで認められますが,神経症状のみの場合には,経年により緩和すると考えられるため,労働能力喪失率を逓減したり労働能力喪失期間を限定したりすることがあります。
(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p169)
従って,障害の内容・程度,現在の職業,障害の内容・程度が労働能力に及ぼす影響等を考慮しながら,労働能力喪失の有無・喪失率が裁判所により判断されることから,これらの点を十分に主張・立証を行うことが重要です。(赤い本2005年版下巻p98)
6 歯牙障害(欠損)
口内の歯牙が脱臼,破損した後遺障害を言います。
労働能力喪失率について,歯牙障害は,多くの職業においては,労働能力への直接的な影響を与えないと考えられることから,労働能力の喪失は否定されることが多いとされています。
(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p167)
逸失利益を認めた判決としては,「入れ歯による頭痛について」外貌醜状及び左顎痛の神経症状と併せて50歳までの21年間20%の喪失率を認めたものがあります(東京地裁平成13年8月7日判決自動車保険ジャーナル1423号)。
あるいは,「歯牙障害は,歯を食いしばって力を入れるような仕事には不都合をもたらす可能性があることが推認され,そのことが就労の機会や就労可能な職種を狭めたり,労働の能率や意欲を低下させる影響を与えるものであることが十分に推認されるが,その程度は大きいものとは認められない。」として外貌醜状と併せて67歳までの44年間,5%の労働能力喪失を認めたものがあります
(東京高裁平成14年6月18日判決自動車保険ジャーナル1451号)。
(以上 赤い本2005年版下巻p103)
労働能力喪失が否定される場合でも,歯牙障害を後遺障害による慰謝料の増額事由としてしんしゃくすることができるものと解されるとされています(「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p167)。
この点については,欠損した歯牙が多い場合に用いられる有床義歯の場合には,その手入れの手間等からくる日常生活上のさまざまな不便が考えられますし,特に若年者の場合には精神的な苦痛も多いでしょう。
また健常な歯牙を削って支えにし,人工の歯を入れる場合には,健常な部分に対する侵襲となりますので,これを損害認定に当たって無視することは妥当でないと思われます。
したがって,労働能力喪失を認め,逸失利益を肯定するのが困難な場合であっても,日常生活上の不便,精神的苦痛,健常な部分に対する侵襲があることについて,後遺障害慰謝料の算定に当たって十分に斟酌するのが相当と思われます。
(赤い本2005年版下巻p103)
7 脾臓喪失
脾臓を失った後遺障害です。
平成18年4月1日以降に発生した交通事故で脾臓を失った者が13級11号(労働能力喪失率9%)に認定されます。従前は8級11号に認定されていたものが下位の等級に変更されました。
変更前においては,労働能力喪失について議論があり,8級11号(45%)を下回る,おおよそ20から40%の労働能力喪失を認める判決の傾向がありました。(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p167)
変更後については,特段の判決例が無く,13級11号での労働能力喪失率9%で概ね運用されているものと推測されます。
8 腓骨偽関節
腓骨の骨折部の骨の癒合が起こらず,異常な可動性が見られる状態が残存し,これにより足関節の変形,安定性・運動性の減少,亜脱臼及び疼痛,下肢の支持機能の減弱等を生ずる後遺障害です。
平成16年の労災制度の認定の取り扱い変更に併せて自賠責でも,平成16年7月1日以降に発生した事故について,脛骨及び腓骨の両方の骨幹部又は骨幹端部(以下,骨幹端部等といいます。)に癒合不全を残し,常に硬性補装具を必要とする場合には7級10号,脛骨及び腓骨の両方の骨幹部等に癒合不全を残し,7級10号に該当しない場合には8級9号,腓骨の骨幹部等に偽関節がある場合には12級8号に認定されます。
労働能力喪失率については,一般に認定された等級のとおりの喪失率が認められるとされています。
もっとも,腓骨の隣にある脛骨が強いことから,腓骨の偽関節が残存していても,疼痛が無く,歩行や立位にはそれほどの影響がない場合で,被害者の職業が肉体的活動を要求されない職業,たとえば主な業務が事務所内でのデスクワークであり,日常業務において移動をあまり伴わないような事務職のような場合には,自賠責による認定等級よりも低い労働能力喪失率が認められることがあるとされています。
逆に,被害者の職業が下腿に対する負荷が大きいと思われるスポーツ選手のみならず肉体的労働を主なものとするような場合(例えば,運送業,建設業,土木業)は,それよりも高い労働能力喪失率が認められることがあります。
(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p170,2006年版赤い本下巻p184)
9 下肢短縮
下肢の一方の長さが短縮したことにより,身体の左右のバランスに問題が生じ,基本的な日常生活動作に支障を生ずる後遺障害です。
自賠責では,脚長差が5㎝以上ある場合には8級5号,脚長差が3㎝以上ある場合には10級8号,脚長差が1㎝以上ある場合には13級8号に認定されます。
もっとも,下肢短縮の程度が少なく(主に1㎝以上3㎝未満),歩行障害が見られない場合(脚長差2.5㎝以下では歩行障害を示さないという見解もあります。)や,被害者の職業が肉体的活動を要求されない職業,たとえば主な業務が事務所内でのデスクワークを中心とする事務職のように移動を伴わないものである場合には,自賠責で認定された等級におけるよりも低い労働能力喪失率が認められることがあります。
逆に,被害者の職業がスポーツ選手のみならず肉体的労働を主なものとするものであって,左右のバランスが要求されるもの,例えば体育教師や大工やとび職,または長時間の歩行を要する外回りなどの営業職については認定された等級以上の喪失率が認定される場合もあります。
(以上 「交通事故損害関係訴訟」佐久間邦夫・八木一洋編 青林書院 p171,2006年版赤い本下巻p189)